Chrome Hearts(クロムハーツ)の歴史

ラグジュアリージュエリーブランドの「Chrome Hearts(クロムハーツ)」は、クロスモチーフなどのシルバーアクセサリーを中心に展開を行っているブランドとして知られ、1988年の設立以来、数あるメンズ向けシルバーアクセサリーブランドの中でも異例の人気を誇っています。



今では”キング・オブ・シルバー”とも呼ばれ、数多くの芸能人やセレブリティがこぞって愛用し、熱狂的なファンを多く持つほどの大人気ブランドへ躍進を遂げましたが、クロムハーツと言うブランドが、なぜこれほどまでに多くの男性から支持を得るようになった理由については、実はよく知らないと言う方も多いのではないでしょうか?



そこで今回は、創業から現在までに続く、クロムハーツの歴史についてご紹介します。


クロムハーツの歴史 第一章
創業者リチャード・エリック・スターク氏の誕生



1960年5月19日、アメリカのニューヨーク州ユーティカにて、クロムハーツの創設者のひとりであり、現オーナー兼デザイナーのリチャード・エリック・スターク氏が誕生しました。



リチャード氏が住んでいたユーティカと言う街は、かつて「ジェネラルエレクトリック」と言うメーカーが、ラジオの生産拠点に置いていたことから世界随一のラジオの首都とも呼ばれていました。



しかし、1960年中盤になると、生産拠点を中東に移動したことで街は急速に衰退し、人口も流出してしまい、終いには「神に忘れられた街」と呼ばれるようになってしまったと言う悲観的なエピソードがあります。



そんな中でもリチャード氏は、幼少期の頃から街にあった古びた教会によく足を運んでいたそうで、このときの体験が、後にクロムハーツで十字架モチーフが多く取り入れられるようになった理由だと考えられてます。



リチャード氏は、17歳までユーティカで過ごし、高校卒業後は、ニューヨークの田舎に移住し、ヒッピー的な生活を送っていたと言われています。



そして、1978年にはカリフォルニア州に移り住みます。



リチャード氏は、木工職人の父親の影響もあり、幼い頃から興味を持っていた建築について学ぶために、塗装業に従事しながら建築関係の学校に通うようになります。



その後リチャード氏は、木工職人に弟子入りを果たし、見習いとして働くようになります。



家具や建築など様々な木材を扱う仕事を務め、木工技術を取得したリチャード氏は、一時期、自宅の家具のほとんどを趣味で自分で作っていたと言われており、クロムハーツで展開されている家具のアイテムも、一部はリチャード氏が手掛けています。

クロムハーツの歴史 第二章
クロムハーツの創業



リチャード氏はその後、父親が経営する皮革製品を輸入する会社で働くようになります。



そこで、リチャード氏は、毎日のように皮革製品を扱う仕事をしている内に、次第に皮革製品の虜になってしまい、木工職人の修行を断念し、皮革製品のセールスを本格的に始めるようになります。



バイクが趣味のリチャード氏は、セールスを愛車であったハーレーダビッドソンに乗って行っていたと言われ、全米の様々な都市をお気に入りのバイクで巡回していたと言います。



次第に、同じ皮革製品のセールスを行っている仲間と知り合うようになり、中でもジョン・バウマンと言う人物と意気投合します。



そして、リチャード氏とジョン氏は、共同でバイク用の皮革製品を販売するファッションブランドを立ち上げることに合意します。



ファッション事業の展開に至った経緯には、その当時販売されていたバイク用のファッションアイテムに満足できておらず、自分でも身に着けたくなる理想のアイテムを作りたいと言う強い思いがあったようです。



その後、彫金職人であったレナード・カムホート氏も事業に参加するようになり、リチャード、ジョン、レナードの3人で、本格的にバイク用の皮革ファッションの事業をスタートします。



1988年、リチャード、ジョン、レナードの3人の共同でファッションブランド「Chrome Hearts(クロムハーツ)」を設立します。



ブランド名の由来は正式に発表されておらず「錆びないハート」や、「揺るぎない鉄のような心」などのいくつかの諸説がありますが、リチャード氏は、「特に意味は無く、響きがクールでかっこよかったから付けたんだ」と話しており、真相は明らかになっていません。



またこの年、リチャード氏は、ローリー・リン・スタークと結婚します。



ローリー氏は、スタイリストやアートディレクターを務めていた経験があり、リチャード氏との結婚後は、クロムハーツの共同デザイナーとして広告ビジュアルやクロムハーツマガジンのアートディレクターなど、ブランド全般のクリエイションを担っています。

クロムハーツの歴史 第三章
映画に衣装提供



翌年の1989年には、リチャード氏の友人が監督を務めた映画「チョッパー・チップス・イン・ゾンビー・タウン(Chopper Chips In Zombie Town)」の衣装を、クロムハーツが担当することになります。



また、この映画の初期のタイトルは「CHROME HEARTS」だったと言われており、リチャード氏は、この映画のタイトルからブランド名を名付けたと言う諸説もあります。



映画の衣装製作がブランドにとって最初の本格的な活動だったと言われていますが、映画で着用されたクロムハーツのレザーのライダースは、シンプルながらも口コミで大きな話題となり、早くもバイカーの間で注目を集めるようになります。



さらに、映画での反響を受け、レザージャケットに施すシルバーパーツを独立したアイテムを販売し、これによって、バイカーだけでなく、ロックミュージシャンにも知名度が浸透するようになります。



リチャード氏は「ブレイクしたきっかけはガンズだが、ロックスターと呼ばれる人間で初めてクロムハーツを愛用したのは、セックスピストルズのスティーヴ・ジョーンズだ」と話しており、クロムハーツは偉大なロックミュージシャンの愛用によって、ロック好きからも支持を得るようになり、さらなる人気を集めていくことになります。

クロムハーツの歴史 第四章
日本での販売がスタート



1990年には、早くも日本での取り扱いがスタートし、セレクトショップにて輸入販売がスタートします。



日本初の正規取扱店となったのは、岩手県盛岡市にある「インテレクチュアルギャラリー」と言うショップで、アイテムの品揃えはニューヨーク店に次ぐ展開となっていました。



このショップは、日本でのクロムハーツの聖地と呼ばれて親しまれ、多くの芸能人も足を運んでいたと言われています。



さらに翌年の1991年には、青山の「コムデギャルソン」でクロムハーツの取り扱いを開始します。



コムデギャルソンの川久保玲氏とリチャード氏は深い関わりがあり、1991年にパリで開かれたコムデギャルソンの春夏コレクションでは、同コレクションに参加していた「吉田カバン」の吉田克幸氏と、「ハリウッドランチマーケット」のゲン垂水氏の為に、リチャード氏と川久保玲氏は、彼らが着ていたシャツのボタンを外してクロムハーツのボタンを付けます。



そのボタンのタグには、「CHROME des GARCONS(クロム・デ・ギャルソン)」と書き換えられており、クロムハーツとコムデギャルソンは、深い関係でつながっていることが頷けます。


クロムハーツの歴史 第五章
ユナイテッドアローズで販売開始



1992年には、有名セレクトショップである「ユナイテッドアローズ」でも正規の取り扱いをスタートします。



1992年、この年のアメリカファッションデザイナーズ協会(CFDA)のアクセサリー部門でクロムハーツが最優秀賞を受賞します。



この受賞によってアメリカのセレブリティからも人気を集めるようになり、セレブリティが着用し始めたことによって、一般層にも知名度が一気に上昇し、ますます人気が拡大しています。



1994年、日本の有名歌手である氷室京介が「SHAKE THE FAKE」ツアーにて、クロムハーツの衣装やアクセサリーを着用し、話題となります。



クロムハーツのファンであった氷室京介氏は、その後リチャード氏と交流するようになり、やがてコンサートのグッズでクロムハーツとのコラボレーションアイテムを販売するなど、クロムハーツと一際縁の深い人物でもあります。



またこの年、本社をマリブからハリウッドに移転します。



1995年、創業メンバーであり、チーフデザイナーを務めていたレナード・カムホート氏が脱退します。



その翌年の1996年にレナード氏は、デボン・ウィラーと新ブランド「レナード・カムホート」を立ち上げます。



当初は、鳥などの自然界に存在するものをモチーフにしたシルバーアクセサリーを展開し、他のシルバーアクセサリーブランドとは一味違う芸術的な作品を送り出していました。



現在は、「LONE ONES(ロンワンズ)」と言うブランド名にリニューアルされ、シルバーアクセサリーの定番であるスカルモチーフも新たに登場し、新たなファンを開拓しています。



また、この年、ニューヨークに初の直営店がオープンします。

クロムハーツの歴史 第六章
実験店ユーティカがオープン



1997年、クロムハーツのオンリーショップ「UTICA(ユーティカ)」が、ユナイテッドアローズ原宿本店前にオープンします。



リチャード氏の故郷である街”ユーティカ”を店名にしたこのショップは、クロムハーツの実験店だったと言われており、世界のショップの中でも重要な位置付けでもありました。



1999年には、ニューヨーク店に続く2つ目の直営店が東京・青山にオープンします。



この店舗を皮切りに、大阪、福岡、名古屋、銀座、神戸、新宿など、日本の様々な都市に進出を果たします。



2000年、ロサンゼルスに直営店の第3号店である「CHROME HEARTS L.A」がオープンします。



その後は、パリ、ロンドン、香港、台北など、世界の主要都市にも続々と直営店がオープンし、ブランドは急成長を遂げていきます。



2001年には、原宿の「UTICA」が「CHROME HEARTS HARAJUKU」と言う名称に変更します。

クロムハーツの歴史 第七章
コムデギャルソンとコラボレーション



2002年、イギリスのロックバンド「ローリングストーンズ(The Rolling Stones)」とのコラボレーションアイテムが発売されます。



ローリングストーンズを象徴する「唇と舌」をモチーフにしたアイテムが登場し、人気を博しました。



2007年、「コムデギャルソン」と初のコラボレーションを実施し、Tシャツやパーカなどのアイテムが登場しました。



2010年、フランスのファッションブランド「リックオウエンス」とのコラボレーションスニーカーを発売します。



2012年、1990年より日本での正規取扱店として長らく親しまれていた「インテレクチュアルギャラリー」との契約が終了します。



2016年9月、ユナイテッドアローズとのライセンス契約を終了することを発表し、日本での事業はクロムハーツ社とユナイテッドアローズが合同で設立した、「CHROME HEARTS JP合同会社」に承継されることになります。



しかし、新会社の持ち分をクロムハーツのCH Holding Companyに、2016年から2024年までに複数回に分けて譲渡を行うことになり、当面の間はこれまで同様にユナイテッドアローズが正規販売店として店舗での販売を継続していくことになっています。



クロムハーツは今後、日本で直接的に販売をしていきたいと考えており、2024年以降のクロムハーツの日本国内での展開に注目が集まっています。

まとめ



今回は、クロムハーツの歴史についてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?



シルバーアクセサリーブランドは、今では数多く存在していますが、クロムハーツが今もこうして不動の人気を誇っているのは、自分が身に着けたいものを作りたいと言うリチャード氏の強いこだわりがあったからこそ、高く評価され、バイカーを始めとする、世界中の人から絶大な支持を得るようになっていったのかもしれませんね。



今後もクロムハーツは、世界中の男性を虜にする魅力的なアイテムを提供し続けていくことでしょう。