TADY&KING(タディアンドキング)の歴史

アクセサリーブランド「TADY&KING(タディアンドキング)」は、不動の人気を誇るブランド「goro’s(ゴローズ)」の創始者である高橋吾郎氏の一番弟子であり、カービング界の第一人者として知られるTADY氏こと田尻種彬氏と、シルバーアクセサリーブランド「KINGS KNIGHT」の創始者で、シルバーアクセサリー界のカリスマとして知られるKING氏の2人のコラボレーションによって設立されたブランドです。



インディアンジュエリーをメインに展開していることもあり、ゴローズと比較されることが多いブランドでもありますが、タディアンドキングだけでしか販売されていない唯一無二のアイテムも多く、ゴローズとはまた違う魅力があることで、今では芸能人の愛用者も多くおり、日本のみならず世界中に多くのファンを獲得しています。



そんなタディアンドキングは、ゴローズと深い関わりがあることは有名なものの、どのような経緯によって誕生したのか、詳しくはよく知らないと言う方も多いのではないでしょうか?



そこで今回は、人気アクセサリーブランド「タディアンドキング」の歴史についてご紹介します。




TADY&KINGの歴史 第一章
ゴローズ創始者 高橋吾郎氏との出会い



1943年、タディアンドキングの創始者の1人であるTADY氏こと田尻種彬(たじり たねあきら)氏が誕生しました。



TADY氏は1970年頃になると、東京・原宿にあるショップ「goro’s(ゴロズ)」で働き始めたと言われています。



ゴローズと言えば日本でのインディアンジュエリーの先駆けとなったブランドでもあり、現在も不動の人気を誇っている伝説的ブランドとして知られています。



TADY氏は、そこでゴローズの創始者である高橋吾郎氏と運命的な出会いを果たします。



吾郎氏は、現地のインディアンの職人から直接銀細工の手法を教わり、さらに日本人初のインディアンの称号を手に入れたことでも有名で、国内においてのインディアンジュエリーの第一人者で名高い人物としても知られています。



TADY氏はそんな吾郎氏から一番弟子として愛され、レザーカービングの技術やシルバー加工技術などを直々に教わるようになり、様々な技術を習得していきます。



ものづくりの技術を身につけていったTADY氏は、次第にゴローズを出て独立をし、自分のブランドを持ちたいと考えるようになります。




TADY&KINGの歴史 第二章
独立



1980年、TADY氏はゴローズから離れ、独立することになります。



その頃、カービング界の第一人者として知れ渡るようになったTADY氏は、多くのクリエイターから尊敬され、憧れの存在だったと言われています。



独立後、TADY氏は「TADY&カンパニー」と言う会社を設立し、自らが代表取締役になります。



その後、六本木に自身の初めてとなる工房を立ち上げました。



「TADY&カンパニー」は、デザイナー山本耀司によるブランド「ヨウジヤマモト」や「ケイタマルヤマ」とのコラボレーションを行ったり、自身の作品をパリ・コレクションに出展するなど、立ち上げ当初から幅広い活動を行っていました。




TADY&KINGの歴史 第三章
KING氏との出会い



TADY氏はシルバーアクセサリーを本格的に展開していくため、彫金技術を持つ優れた職人を探し始めます。



やがて、KING氏と言う人物を紹介されることになります。



KING氏は、日本、アメリカ、オーストラリアなどの世界中に支部があるバイカーグループ「KINGS KNIGHT」の創設者として知られ、そのバイカーグループの名を冠したシルバーアクセサリーブランドも立ち上げています。



さらに、シルバー彫金師としても有名なKING氏は、シルバーアクセサリー界のカリスマとしても知られており、TADY氏とKING氏はすぐにタッグを組んでコラボレーションを始動することになります。



2人は、最初にターコイズを使ったインディアンジュエリーを作り始めたと言われており、その後もインディアンモチーフを取り入れた様々な作品を生み出していきます。




TADY&KINGの歴史 第四章
TADY&KINGの創業



1987年、TADY氏とKING氏によるブランド「TADY&KING」が正式に創業します。



タディアンドキングは、TADY氏が高橋吾郎氏の一番弟子でもあったことからゴローズの愛用者からも注目を集め、創業して間もない頃から高い評価を得るようになります。



ゴローズとタディアンドキングは、フェザーやクロスモチーフ等、展開しているアイテムが類似していることが多く、度々間違われることもありますが、この2つのブランドは似ているようで異なる点が多くあり、中でも決定的な違いがブランドのシンボル(アイコン)です。



ゴローズは、イーグルがブランドのシンボルとなっており、アイテムの多くにイーグルの刻印が刻まれています。



対してタディアンドキングは、横顔のウルフと長大な角を持る牛のロングホーンがブランドのシンボルロゴとなっており、このアイコンはTADY氏とKING氏の2人のスピリットを象徴していると言われています。



TADY氏とKING氏のタッグによって生み出されるアイテムは、どれも並々ならぬこだわりがあり、インディアンスピリットが込められた魅力的なアイテムは、TADY氏がゴローズの吾郎氏から正統継承された技術力がふんだんに活かされています。




TADY&KINGの歴史 第五章
インディアンジュエリーが空前の大ブームに



1990年代には、日本の若者の間で空前のインディアンジュエリーブームが訪れます。



最初のインディアンジュエリーブームは、当時SMAPのメンバーでもあった木村拓哉さんがゴローズのアイテムを愛用していたことから木村さんがブームの火付け役となったと言われていますが、インディアンジュエリーが流行ったのは、ゴローズだけでなくタディアンドキングの存在も大きかったと言われています。



さらにブームと共にタディアンドキングを愛用する芸能人も徐々に増えて来るようになり中でも木村拓哉さんと工藤静香が、結婚前のサーフィンデートでタディアンドキングのアイテムをお揃いで着用した際には、大きな話題となり、ブランドの知名度も急上昇します。



インディアンジュエリーブームは2000年代前半まで続き、このブームによって幅広い年齢層に広く知れ渡るようになりました。




TADY&KINGの歴史 第六章
レジストに販売権を譲渡



タディアンドキングは、これまでKING氏が経営する「WOLVES」と言う店舗などで販売していましたが、2000年代初めになると、タディアンドキングの全てのアイテムの販売権が、原宿にあるセレクトショップ「RESIST(レジスト)」に譲渡されることになります。



レジストは、タディアンドキングのアイテムを扱う唯一の公式ショップとなっており、現在、正規のルートでタディアンドキングのアイテムを入手するには、公式オンラインストア、そしてレジスト店舗での購入の2つの入手方法があります。



また同時期に、KING氏は自身が経営するショップ「WOLVES」を畳み、その後KING氏は、タディアンドキングの事業から離れることになり、現在はブランドとは関与しておりません。




TADY&KINGの歴史 第七章
田尻種彬氏が生涯の幕を閉じる



2017年1月、TADY氏こと田尻種彬氏が生涯の幕を閉じます。



TADY氏が立ち上げた工房「TADY&カンパニー」も畳まれることになり、現在発売されているタディアンドキングのアイテムは、これまでにタディアンドキングやレジストのアイテムを請け負ってきた、彫金工房がデザインと製作を担うことになり、レザーアイテムについては、TADY氏の弟子が手掛けるブラン「GOD FISH」が製作を請け負っている言われています。



TADY氏とKING氏の最強タッグによって、立ち上げられたタディアンドキングは、 現在は創始者の2人が関わっていないものの、2人の生き様や情熱はそれぞれのアイテムから感じ取ることができ、 この先もタディアンドキングはこだわり抜かれた魅力あるアイテムを提供し続けていくことでしょう。




まとめ



今回は、タディアンドキングの歴史についてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?



ゴローズの生みの親でもある高橋吾郎氏が、現地のインディアンから受け継がれた技術が、TADY氏こと田尻種彬氏に継承され、遂には世界屈指のカービング界の第一人者として認められるまでになったTADY氏は、吾郎氏との出会いこそがターニングポイントでもありましたが、元々ものづくりの才能が誰よりも秀でていたからこそ、独立後に成功を収めることができたのかもしれませんね。



ゴローズとはまた一味違ったインディアンジュエリーを堪能できるタディアンドキングに興味を持った方は、ぜひこの機会にチェックしてみてください。