人を引き付ける人柄の「ゴローズ」デザイナー高橋吾郎氏



インディアンジュエリーブランド「ゴローズ」は、多くの芸能人が愛用してることで知られており、あまりの人気ぶりに原宿にある唯一の店舗では、毎日沢山の人が列に並び、入店する為の抽選が行われていることでも有名です!


そんなゴローズを語る上で忘れてはいけないのが創業者であり、生みの親と言っても過言ではない高橋吾郎氏の存在です!

ゴローズがここまで多くの人を引きつけるブランドに成長したのは親しみやすい吾郎氏の人柄も大きく関係しており、吾郎氏が持つ感性や、インディアンジュエリーにかける熱意に惹かれて、ゴローズを愛用し始めたと言う人が多くいると言われています!



ゴローズをあまり知らないと言う方も、吾郎氏のこれまでの逸話の数々を知れば、今もゴローズがここまで愛されている大人気ブランドなのかが頷けるかもしれません!



そこで今回は、ゴローズの創業者である高橋吾郎氏の人柄について深く掘り下げて紹介します!

ゴローズの歴史から垣間見える高橋吾郎氏の人柄とは?



ゴローズで販売されているアイテムはただおしゃれでカッコいいだけでなく、
創業者兼デザイナーでもある高橋吾郎氏の魂やスピリットが一つ一つのアイテムに込められています!


吾郎氏の生い立ちや数々の伝説を知れば知るほど、吾郎氏が世間に与えた影響や、今でも多くの人に愛されている理由が垣間見えるかもしれません!

1.学生時代からものづくりに夢中!



ゴローズの創業者の高橋吾郎氏は1939年6月29日に東京で生まれました!




吾郎氏は幼少期からインディアンに憧れがあったと言われており、友人や兄弟たちとインディアンになりきって遊ぶこともあったようです!

またそれだけでなく、吾郎氏は幼い頃からものづくりの才能に目覚めており、創作活動に日々没頭していたとされています!



この頃から、吾郎氏は唯一無二な感性を持ち合わせていたのかもしれません

そして吾郎氏は中学生に上がり、中学生活を送っていたある日、臨海学校に参加することになります!



その際に、臨海学校の寮の周辺を歩いてい吾郎氏は、近くでトンカチの音がしていることに気付きます!

音のする場所に行ってみるとそこには、アメリカ人の進駐兵がレザークラフトをしている最中で、ものづくりが元々好きな吾郎氏は、この出会いがきっかけでレザークラフトに興味を持つようになります!

そして吾郎氏は、レザークラストの技術を学ぶために臨海学校が終了するまで毎日進駐兵の元に通うようになり、さらに臨海学校を終えた後も進駐兵が帰国するまでレザークラフトを教わり、技術を習得していきます!

このように、進駐兵との出会いは吾郎氏にとって運命的な出来事だったことがよく伺えますね!



吾郎氏は進駐兵が帰国した後も、独学でレザークラフトを学び続け、高校生のときには、これまで習得した技術力を活かして商売を始めていたと言われています!

2.10代でブランドを設立!



その後も順調に商売を続けていき、1956年には念願叶って、レザークラフトブランド「ゴローズ」を立ち上げます!

 

このとき吾郎氏は驚くことにまだ10代後半で、未成年でブランドを立ち上げると言う快挙を果たします!



技術を身に着けた後にすぐに行動に移す吾郎氏のチャレンジ精神には、誰しも憧れを抱いたり、尊敬をするのではないでしょうか?


当時のゴローズでは、現在も人気アイテムとなっているレザーカービングを施したベルトや財布、バッグに加えて、ジャケットやソファと言った革製品までも手掛けており、ジャンルにとらわれず、ありとあらゆるレザーアイテムを作り続けていたようです!


ちなみに、ゴローズの店内に置かれているソファは吾郎氏が実際に革張りして制作したものだそうで、お店に行った際にはチェックしてみてはいかがでしょうか?



そして、1966年に青山に工房を構えると、さらに創作活動に磨きがかかり、レザーアイテムだけでなく、オリジナルのバックルや金具の製作も開始するようになります!

3.インディアンジュエリーとの出会い



レザークラフトの創作活動に没頭していたある日、吾郎氏にとって大きな転機が訪れます!



吾郎氏は何度もアメリカに旅をしていたと言われていますが、その際に、本場のインディアンジュエリーに触れる機会があり、そこでインディアンジュエリーを制作する職人と出会います!

この出会いをきっかけに、吾郎氏は現地の職人から銀細工の手法を教わるようになります!

レザークラフトだけに留まらず、新たな分野にも次々に挑戦していく吾郎氏の強い情熱が伝わってきますね!

そして1972年、青山から原宿に拠点を移し、ついに「ゴローズ」がオープンします!

原宿のショップの開店当時に吾郎氏は、ヘルメットを被らずにハーレーダビッドソンに犬と一緒に乗車をして走り回っていたと言うファンの間で有名なエピソードがあります!

普段は何事にも真面目に取り組んでいる吾郎氏も、ときには少しお茶目な一面を見せるのも魅力的かもしれませんね!

4.日本人初のインディアンに!



吾郎氏の伝説として有名なのがインディアン文化への熱い傾倒です!

アメリカに旅した際に、吾郎氏は幼いころから憧れでもあったインディアンに会う機会が訪れます!



吾郎氏はサウスダコタ州を拠点とし、アメリカのインディアン部族の一つであるラコタ族と出会い、交流を深めて信頼関係を築いていきます! 





その後、吾郎氏は「スウェットロッジ」と言うラコタ族の儀式を受けることになり、その際に「イエローイーグル」と言うインディアンネームを授かります!

さらに、1979年にはラコタ族の神聖な儀式である「サンダンス」を受けることになります!

サンダンスは4日間に渡って行われる、ネイティブインディアン最大の儀式で、
まず最初に「ハンブレチヤ」と言う試練があります!


この試練では水や食べ物を一切口にすることができず、4日間眠らずにひたすらドラム音に合わせて大地を踏み鳴らし、サンダンスと言う木の周りを踊り続けると言う過酷な試練に臨まなければなりません!

そして最後には「ピアッシング」と言う試練が待ち構えています!

ピアッシングでは胸の肉にイーグルの爪を通して木に結び、千切れるまで踊り続けなければならないと言う、さらに過酷で厳しい試練に挑みます!

サンダンスの儀式は、挑戦者全員がやり遂げられるとは限らないですが、
吾郎氏は、意識を失いそうになりながらも最後には無事に試練を達成し、
こうして吾郎氏は日本人初のインディアンとなり、歴史的な快挙を成し遂げます!


5.右腕を損傷するも創作活動は続けられ・・・



日本人初のインディアンの称号を手に入れた吾郎氏は帰国後に、儀式で贈られたイーグルフェザーをモチーフにした、シルバーアクセサリーの制作を開始します!

その後も現在も大人気となっているシルバーアクセサリーがこの頃に続々と生み出されていきましたが、1987年にアトリエで火災が発生した際に、吾郎氏は全身に大怪我を負ってしまうと言う悲劇に見舞われます!

幸いの事に一命は取りとめましたが、創作活動に必要不可欠な利き腕の右手が損傷してしまい、絶望的状況に陥ります!


しかし、吾郎氏はここで挫折をしてしまうような人ではありません!

吾郎氏は右腕にハンマーを縛り付けて固定をし、創作活動を再開します!

なんとしても創作活動を続けていきたいと言う吾郎氏の熱い思いが伝わってくる逸話です!




6.お客さんを気遣い丸太を設置!



90年代になると、木村拓哉さんらの芸能人の愛用者も増えていき、この頃からショップでは連日入店する為に行列が作られるようになります!

当時、ガードレールに座って並んでいる客を見た吾郎氏は、自分も試しに座ってみるとあまりの冷たさに驚いてしまいます!



そこで吾郎氏は、お客さんに並んでいる間に少しでも寒い思いをしてほしくないと言う気遣いで、信州から運んできた9メートルの大きな丸太を設置しました!


吾郎氏が設置した丸太は長年原宿の名物として親しまれていましたが、残念ながら2002年に東京都から撤去命令が下された為、現在は設置されていませんが、吾郎氏の温かい人柄が感じられるエピソードです!

このように、吾郎氏はお客さんのことを常に気にかけており、ゴローズが今もコミュニケーションを大事にし、通販を一切行わずに対面販売だけにこだわっているのも、吾郎氏がお客さんとの会話を楽しみにしていたからだと言われています!

7.今も吾郎氏のスピリットは生き続け・・



吾郎氏は2013年お亡くなりになりましたが、今も原宿のゴローズのショップには、吾郎氏に魅了されたファンが多く詰めかけており、今も昔も変わらず賑わいを見せています!

原宿のゴローズに足を踏み入れると、吾郎氏が手掛けた家具や、当時制作したと言うインディアンジュエリーや革製品が今も変わらずに並んでおり、
吾郎氏のスピリットを強く感じ取ることができます!



ゴローズの魅力は、吾郎氏が手掛ける細部にまでこだわった一つ一つのアイテムの完成度の高さはもちろんですが、誰からも愛される吾郎氏の親しみやすい人柄こそが、ゴローズが不動の地位を獲得できた理由なのかもしれません!

まとめ



今回は高橋吾郎氏の人柄がよく分かる、エピソードの数々をご紹介しました!

吾郎氏と親交があった人の多くが吾郎氏の事をピュアで真っすぐな人だったと仰っている通り、どのエピソードをとっても吾郎氏の人柄が滲み出ており、伝説的な逸話は今後も忘れられることは無く、語り継がれていくこと間違いありません!

次にゴローズのショップに足を運んだ際には、店内に今も残されている吾郎氏の作品の数々に目を向けて、吾郎氏のスピリットを感じてみてはいかがでしょうか?